In the Mountain

考古学勉強日記
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 ひよこ大会(10月) 「サケ・マス論」
 2005年10月25日 (火) 06:11:00

さあさあもう10月も終わりだからね、ひよこ大会の記事ですよ
10月のお題は「食」ということで、まず第一弾は「サケ・マス論」
山内清男が提唱して以来時には鵜呑みにされ、時にはほったらかし
そんな「サケ・マス論」についての記事です
図版資料がないのは悪しからずご勘弁を

1.背景
 そもそも、なぜ「サケ・マス論」が提唱されたのであろうか。大きな理由として縄文時代遺跡の分布密度の東西格差が上げられる。研究者によって差はあるものの以下のような見解が見受けられる

山内清男(1964)…4:1(中部・関東・東北・北海道・畿内以西をそれぞれ1)
谷口康浩(2005)…13:1(人口密度の差が最大となる中期では23:1以上)

このような東西格差を説明するために生まれた仮説が「サケ・マス論」である。
※これはあくまで見かけ上の遺跡数の差によるもので、実際の人口差とは限らない


2.山内による提唱
 1947年以降、各所における座談会などでは触れられていたものの、彼が"広汎な資料に触れるので、煩わしいため、筆にしたことがない"と日本原始美術で述べているように、「サケ・マス論」は論文としては発表されておらず、日本原始美術内の「日本先史時代概説」で初めて文章として著されたものである。また、これは編年研究でよくわかるように実証を重んじる山内にしては珍しく民族誌の援用を中心としたものであり、仮説としての色合いが濃い。
 またこの仮説の特徴は遺跡密度の違いを環境の違い、ひいては生業の違いとして説明したことになる。以下、「日本先史時代概説」より抜粋する
 "北米のIndianには、サケの遡上する地帯で、これをとって保存食料とする処もある。Salmon Areaといわれる。南はカリフォルニアから北はアラスカに至る。これに対応するアジアの東岸もこれと似ていて、各地の原住民はサケを主食とするといってよい。その南端が北海道アイヌであり、日本の東北部である。カリフォルニアIndianは北部ではサケとドングリの両者を保存食料としている。南半ではドングリが主食である。Acorn Areaといわれている。これと似て縄文式文化圏の西南半は木の実を主食とし、東北半は木の実とサケの二本建て"
 このように、東日本に遺跡が多いのは堅果類に加えてサケ・マスといった漁撈による食事情の豊かさがあったからだとするのが「サケ・マス論」の根幹である。


3.山内サケ・マス論の拡大解釈
 彼の仮説は編年偏重とまで揶揄された山内の面目躍如をなす大きな仮説のひとつであろう。しかし、論文という形をとらずしてこの仮説を提示、つまり他の学者の解釈が入る余地があったことが不幸にして拡大解釈に結びついた面も否めない。簡単にではあるが実例を二つ紹介し、それぞれの欠点を指摘しよう。ここでは区別の意味を込めて山内が提唱したものを「山内サケ・マス論」と仮称する。

坪井清足(1962)
彼は岩波講座日本歴史内の「縄文文化論」にて「山内サケ・マス論」を裏づけとして以下のことを述べている
・亀ヶ岡文化が発達したのはサケ・マスといった潤沢な保存食品にある
・天竜川&山陰地方東部をサケの遡上南限とし、亀ヶ岡文化圏との類似性を指摘
しかし、以上の点には共に間違いが含まれている。まず、山内は縄文時代一般のこととして仮説として提示したのみで晩期といった時期的制限は設けていない。さらに、晩期においてサケ・マスの骨の出土事例が増えるといったことも見うけられない。また、南限についての指摘はあるがより北へと広がるサケの遡上地域と、北海道北半には到達しない亀ヶ岡文化の北限が一致しないという点については触れられていない。同じような間違いは鎌木義昌(1965)にも見受けられる。彼が「山内サケ・マス論」を使用したのは以下の点である。
・晩期の遠賀川式(弥生)、大洞式の分布状況から晩期の日本を東西に二分
・その上で東日本で弥生化が遅れた理由をサケ・マスの豊富さに求める
これについても時期的制限といった点が認められる。


4.検証および展望
 では、「山内サケ・マス論」はどのようにして扱っていくべきであろうか。これについては渡辺誠(1974)が「サケ・マス論はすぐれた考古学上の問題であるにもかかわらず…(中略)…極端な実証主義の要請からまるであべこべに解放され、民族誌的事例の援用で事足れりとされているのが、奇異である」と卓見を述べている。
(1)骨の出土量について
 実際、「山内サケ・マス論」については多くの、また山内自身によっても民族誌的事例が援用されており、この傾向は特に骨の出土量が少ないということについておおく見られる。いくつかあげてみよう。
・燻製にして骨まで食べた
・乾燥させて魚粉として貯蔵(山内:カリフォルニア・インディアン)
・捕えたサケを集落でなく漁場そばで解体(大林太良:東シベリアのサケ地帯に住む諸民族)
・骨は送り儀礼に用いたために貝塚からは出ない(岡本明郎)
以上のような理由で骨の出土量の少なさが説明されてきた。しかし、これは高山純(1974)によって論破されることとなる。彼の主張は以下のとおりである。
・骨が残らない調理法があるように、残る調理法もある
・送り儀礼の対象となるのは最初のものである
・貝塚は単なる廃棄場でなくもの送りの機能も持っていたはずである
以上の3点より、高山はサケ・マスの骨の出土量が少ないことを民族誌では説明できないとしている。ここで問題になるのは、"何故骨の出土量が少ないのか"ということである。しかし、ここで最初の遺跡数と同じような考えであるが、"出土数が廃棄量とは限らない"ということが重要となってくる。出土量の少なさを鈴木公雄(1979)は考古学的手法に原因を求めている。すなわち、アメリカの先史時代遺跡においてメッシュを用いた水洗選別法によって破砕されたサケ科魚類の脊椎骨が発見されたことを述べ、日本についても同じことが言えると指摘している。実際に、青森県八戸市赤御堂・七谷地貝塚においては当初の調査では骨は検出されなかったものの後になって検出されている。
(2)サケの遡上域、特に南限について
 もう一つの問題として、縄文時代の環境とサケの遡上域との関係が挙げられる。これについては環境考古学、生物学に負うところが大きい。
 まず、サケの接岸好適気温が3~15度であるという網走捕獲場のデータを前提としたい。これによると年間通してみた場合サケの遡上域は北は北海道全域、南は千葉県・鳥取県を南限として挙げられる。これに縄文時代の推定気温を対応させると以下のようになる。
・前期初頭…現在より年平均気温は約2℃高かったと考えられている
      →南限は福島県、富山県まで北上
・中期中葉…ほぼ現在の気候に相当
       →南限も現在と同じと考えられる
・晩期  …現在より年平均気温は1-2度低かったと考えられている
       →南限は三重県、鳥取県まで南下
愛知県より晩期にサケの骨が出土しているなど、出土事例と照らし合わせてみても、おおよそこれは正しいのではなかろうか。
(3)問題点
 4(2)において山内の言うように日本列島の東半がサケの遡上域であることは過去の気温を推定することによってほぼ論証できよう。また、骨の出土についてもメッシュや水洗選別法によって魚骨が発見されることが例証されている以上、今後、サケ・マスの骨を出土する縄文時代遺跡が増えることも予想される。しかし、出土した骨はその時代のいわば最低獲得量しか示しえないものであり、なおかつサケ・マスへの該当時代の食糧依存度も示しえない。更に、挟み込み式ヤスのアイヌとの文化比較はは行われているものの獲得方法の検討は未だ民族誌からの類推に留まっているのが現状である。依然、サケ・マス文化論に対する研究は大きな余地があると思われる。


5.参考文献
鎌木義昌 1965「縄文文化の概観」『日本の考古学Ⅱ・縄文文化』
小林行雄 1961「民族の起源」
鈴木公雄 1979「縄文時代論」『日本考古学を学ぶ』(3)
酒詰仲男 1961「縄文石器時代食料総説」
高山純 1974「サケ・マスと縄文人」『季刊人類学』5-1
谷口康浩 2005「環状集落と縄文社会構造」
坪井清足 1962「縄文文化論」『岩波講座日本歴史』1
安田喜憲 1980「環境考古学事始」
山内清男 1964「日本先史時代概説」『日本原始美術』Ⅰ
四柳嘉章 1994「サケ・マス」「縄文文化の研究」2
渡辺誠 1967「日本石器時代文化研究におけるサケ・マス論の問題点」『古代文化』18-2
渡辺誠 1973「縄文時代の漁業」
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 COMMENT

  Title...サケ・マス論の参考文献について  b y 文献探し屋
すぎはら様

はじめまして、自分もあなたと同じ考古学徒です。
 自分は下記の文献をどうしても読みたいんですけど。

坪井清足 1962「縄文文化論」『岩波講座日本歴史』1

 実際、『岩波講座日本歴史1』を調べて、目を通しましたところ、坪井氏の論考は見当たりませんでした。また発行年は
1975年となっております。
 サケマス論について記述する際に参考文献として挙げているということは、当然、孫引きなどしないで読んでいらっしゃるんだと思いますので、是非、文献所在についての御教授をお願い致します。

文献探し屋



2006.04.05 (08:47) * URL [EDIT]
  Title...坪井文献について  b y すぎわら
五節の縄文時代終末期に関する部分に該当する箇所があります。そこと奥附けだけでしたら手元にあるのでどうしても見付からない、もしくは見ず知らずの僕のことが疑わしい場合はスキャナでとりこんで送りましょうか?
2006.04.05 (09:40) * URL [EDIT]

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