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考古学勉強日記
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 山内清男について(2)
 2005年11月03日 (木) 19:22:03

(1)では土器編年について書いた。
後から気づいたのだが、土器編年について書いてこれについて書かないわけにはいかない。
「縄紋原体」の発見。
これについて書かないわけにはいかないだろう。
縄文土器、という名称はE・S・モースにまで遡る。
彼が大森貝塚で掘り出した土器をして"Cord marked pottery"と呼んだことが縄文土器の名の由来であるという。
が、しかし彼の文様が如何なる手法によって施されたかは山内の発見にまで30年以上を必要とした。
佐藤達夫による再現(?)を見たので引用したい

ある日いつものように、机の上に油粘土と撚り紐をのせて工夫していたが、どうしても斜行縄紋を作ることができない。
そのうち疲れて眠ってしまった。
目が覚めてみると、なんと粘土の上に立派な縄紋がついていた。
そこにあるものといえば撚り紐しかない。
従ってそれが粘土状の縄紋の原体であることに間違いはない。
そこからついに原体の回転に気づかれたのだそうである。
多分眠り込んだひょうしに手が撚り紐を転がしたのだろうといわれていた。
この発見にひどく興奮された由であるが、まことにもっともなことと思われる。


この話は縄紋な人にとっては有名な話であろう。
山内がこの時までに民族誌に見られる類例を文献で読んでいた可能性がある、というのも有名かもしれない。
・・・ま、そこは気にしない方針で。
しかし、そこから他の縄紋や押型紋を解明したのは紛れもなく山内の業績の一つである。
これは「日本先史土器の縄紋」にあるというが、何に収録されていたか忘れてしまった。
ぜひあとで探して読んでみたいものである。

また、「縄紋土器の技法」には興味深い記述がある。
それによると縄紋には系統がないという。
だとすれば縄紋土器の系統というのは文様帯で辿るべしということなのか。
それとも、本当に縄紋には系統がないのか。
加曽利Eと亀ヶ岡は縄紋の粒の大小が印象的であるが、他の型式ではどうなのか。
型式内で共通性や系統だったものは見られないのか。
同時期の他地域との関係性はどうなのか。
型式が接続する際にはどうなのか。
こんなことも気になったことである。
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