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考古学勉強日記
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 学派
 2005年11月17日 (木) 00:00:14

文化史学とかプロセスとかポスト・プロセスとか色々ある。
モノだけで昔を考えることに限界を感じるから民族誌、ぶったぎればそんな感じだろうか。
僕のとある友人はポスト・プロセス派だろうか。
彼は学史や概念に対する理解が深い、まあかっこいいやつだ。
対して僕は、学史的には文化史学派てところだろうか。

遺物だけで社会の復元を目指すことには限界がある。
そう言われたらもちろん返す言葉はない。
仰るとおりですね、それだけだ。
けれど、限界という点では他の学問を援用してもあるのではなかろうか。
民族誌研究の社会復元への援用なんか典型的な例だと思う。
下手をすれば「だって民族誌じゃん」て言葉だけで否定されかねない。
そういう意味では民族誌を使おうと使うまいと僕には違いはないように思えるのだ。

何より、僕は遺物(土器)研究には視点さえ変えれば新しく見えるものはたくさんあると思うのだ。
今日の勉強会での発表で僕は土器を中心とした社会構造研究を一つの方向性として提示した。
念頭に置いたのは大塚氏による晩期安行式の研究だ。
東北と関東に交流があったんだろうと推測されてはいたが、
具体的に土器をもってしてそれを証明した研究だと思っている。
他にも曽利式の波及に関する谷口氏の研究や、勝坂式の地域性に関する今福氏の研究も面白い。

土器からわかることは編年だけではなかろうに。
そう思う人はたくさんいることだろう。
編年作業に従事するのではなく、製作者の持つ型式・範型に近づく土器研究が必要なのではないか。
それはひいては社会構造の解明につながる土器研究になるのだと、私は思うのであるよ。
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