In the Mountain

考古学勉強日記
 スポンサーサイト
 --年--月--日 (--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 | TB(-) | CM(-) | 

 お久しぶりです
 2006年01月21日 (土) 01:57:25

書きたいことはたくさんあるのですがもう吹っ飛ばして。
とりあえずまたちまちまと書き連ねて行こうかなと思います。

年末年始に特に考えたことは考古学とは何であるか、ということです。
過去人類の社会・文化を遺物・遺構から推察する。
このような答えは考古をやってる人なら誰しもが出せるものであろう。
でも、それをどう解釈するかが人によって大きく異なるんじゃないだろうか。
例えば、明確な物証がない場合、どうそれを判断するか。
僕は「わからないものはわからない」というスタンスでいいと思う。
なぜなら僕にとっての考古学とはあくまで実証的なものであるべきで、
しかしそれでは進歩は見込めない。
だから間接的証拠を積み上げることによる例証も必要となるのだろう。
しかしそれは間接的証拠であり直接的証拠でないことに留意せねばならない。
間接的証拠からはあくまで仮説として推測できるだけであって、
その証拠と仮説をつなぐ理由・理論付けは極めてもろいものであろう。
現在の我々の常識や民族誌を架け橋とすることに僕は強い疑義を感じる。

僕は学説は正に学問的事実の上に立つべきものであって、得体の知れぬ常識によって学問的事実を解釈するのは正道でないと思ふ。この点において我々の説の背後に今日進展しつつある縄紋土器文化の組織的調査のあることを誇示することができる。喜田博士などは個別に一流の解釈を付会されるが、何等資料の整備、組織的基礎を持たれぬことを特徴とされる様である。この種の方言または弥縫の集積が何時まで続きえるかは頗る危まれる次第である。
山内清男 1936「考古学の正道-喜田博士に呈す-」『ミネルヴァ』1-6/7

僕は決してプロセス考古学やポスト・プロセス考古学に反対するものではない。
遺物・遺構とは僕の専門とする縄紋時代の場合、1万年を越える月日を土中で耐えたものすらある。
その長い月日によって我々の眼にはいることなく消えていったものもたくさんあるであろう。
しかし、だからといって

当時の器物の後世に遺物として保存せられるものは極めて僅少で、而も其の中に就いてそれがたまたま発見せられ、研究者の俎上に上されるものは更に更に僅少の数なるに過ぎぬ。而もそれのみによって当時の文化の推移を知らうとする事は極めて困難な事業である。実物をつかまねば物が言えぬ考古学はさてさて不自由なものである。余輩は常識考古学を提唱したい。
喜田貞吉 1936「日本石器時代の終末期に就いて」『ミネルヴァ』1-3

といった所謂"常識考古学"のようなものに走ることは僕は断じて避けたい。
実証実証実証で突き詰められる所まで突き詰めて、それからそのモノと社会・文化との空白を関連諸学問で埋めていくというのが正統な考古学の手法ではあるまいか。
現在に残るモノから過去を復元するという「概念としての考古学」とセリエーションや層位、分類といったものを重用する実証的な「方法としての考古学」。
僕は考古学という言葉をこの二つの意味を持つ言葉として解釈し、「概念としての考古学」が内包するいくつかの方法のとして、「方法としての考古学」や植物学、遺伝学、民族学、鉱物学といったものを認識している。
「概念としての考古学」は人類学と言い換えることもできるであろう。

僕はモノから過去を復元するときには「方法としての考古学」を第一にそれで足りない部分を補うためのものとして諸学問を利用しようとおもっている。
簡単に言えば、重要度の階級が違うとでも言おうか。
そこを履き違えないように履き違えないように、自戒しながら関連する諸学問にも手を出しつつある今日この頃です。

最後に最近読んだ文献の中で割と感銘を受けた植物学者と縄紋農耕について対談した佐原真の言葉を引用する。

縄文農耕社会っていう事を考古学の専門家が発言する以上は、考古学的事実を挙げて、具体的に、農耕がどういうものであるかということを、証明して欲しい。つまりプラントオパールが出てきたから縄文は農耕社会ですよという事を佐藤さん(※佐藤洋一郎)が言うなら僕は「うん」と言いますけれども。考古学研究者が、考古学的にそれを裏付けたりすることにあまり積極的でなくて、プラントオパールがあったから稲だ稲作だという事だけでは、なかなか「うん」とは言えない。

もっともっと色んな文献を読んで、今日の記事で取り上げた「考古学」だけではなく「型式」や「領域」といった自分の研究の中で重要な言葉の概念の整備や理解を深めなきゃいかんなぁ。
スポンサーサイト

研究 | TB : 1 | CM : 1 | 

 COMMENT

  Title...忘れてた  b y すぎわら
最後の佐原真の言葉は
佐藤洋一郎他 2002「縄文農耕を捉え直す」『SCIENCE OF HUMANITY』Vol.41
です。
非常に魅力的な対談集なので是非読んでみてくださいませ♪
2006.01.21 (02:01) * URL [EDIT]

 COMMENT POST







 
 管理者にだけ表示

 Trackback

  ♪ この記事のURL
   http://archaeology320.blog17.fc2.com/tb.php/43-ec45446c


プラント・オパールプラント・オパールは、植物の細胞組織に充填する非結晶含水珪酸体 (SiO2.nH2O) の総称。他に、Phytolith、Opal phytolith、Grass opalなどとよばれている。シダ植物、コケ植物、イネ科植物の葉部、特に表皮細胞、樹木類の維管細胞と表皮細胞など珪素の集
2007/02/12(月) 07:18:57 | 化学物質いろいろ
copyright © 2005 In the Mountain. All Rights Reserved.
  
Item+Template by odaikomachi
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。