In the Mountain

考古学勉強日記
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 In the Mountain
 2006年01月23日 (月) 00:57:35

ブログのタイトル名を馬鹿にされた。
このブログを作った時読んでたのが山内清男てのも確かにあるけど、
決してそれだけでブログのタイトルを決めたわけじゃない。

あ、ちなみに春の時点では僕は山内清男の事を
「山之内清男」て記述してました、、、きゃっ♪
基本的に、先史時代を研究することは難しい。
根本的な理由としては文献資料がない事が挙げられよう。
それは先土器時代、縄紋時代、弥生時代までくらいは共通することと言えるんじゃないだろうか。
後漢書東夷伝なり魏志倭人伝なりを文献資料として認めるならちょっと話は違うかもしれんけど。

ちなみに、旧石器というネーミングに今一釈然としません。
だってさ、局部だろうとなんだろうと磨いてるものは磨いてるじゃん。
旧石器/新石器・青銅器・鉄器て分類にこだわる必要はないと思うのです。
実際旧石器時代て呼称は使われたにしてもそのあとは縄紋/弥生ですし。

まあそれはおいといて。
で、ここからは縄紋時代に絞った話になりますが、
文献資料がないからといって情報量が少ないか、という問題。
確かに文献資料がないということからすれば有史時代よりは少ないだろう。
けどそれでも、十分にたくさんの史料はあると思うのだ。
僕らが史料を読み解く術を持たないから中々過去人類の社会や文化を復元できないだけであって、
1万年をも越える年月に耐えて多くの史料が後世に伝わっていると思う。
報告書を見てみよう。
膨大な量の情報が詰め込まれていて、簡単に処理できるものではない。
遺物を見てみよう。
そこから縄紋人が企図したことをどれくらい読みきっている?

僕らのアプローチ方法次第では史料はよりたくさんの情報を与えてくれるだろう。
情報を引き出せる史料ももっともっと増えるだろう。
情報は目の前に山のように堆積している。
僕らはそこから知りたい情報を引き出し、過去それがあった形に再構築していく。

そういう意味も込めて、"In the Mountain"
実は、結構色々考えてるブログのタイトル。
まぁそれでもセンスがないってのは御愛嬌ってことで(笑)
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