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考古学勉強日記
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 弥生農耕の起源と東アジア(3)
 2006年02月14日 (火) 22:06:01

先史考古学論文集・新第一集(山内:1969)は、
晩年の山内を象徴する非常に刺激的な論文集に思える。
論文集の背表紙には概要としてこのような事が書かれている。
東大停年以後の著作集の第一弾。縄紋式実年代に関する四篇、画竜点睛の弁、縄紋式研究史云々、縄紋式改定年代と海進の時期、洞穴遺跡の年代を収録した。C14年代を排し、大陸文化と結ぶ日本先史学の野心的体系は茲に始めて示された。

ここに載っている四篇の論文は一応全て目を通したが、
山内の考古学の方向性が示されている「画竜点睛の弁」が一番面白い。
再び以下に引用する。

先史考古学には色々な方面がある。一、単に遺跡遺物を発掘し記載するのはその初歩と云えよう。二、次に多数の研究資料を分類する。比較考究して系統論に達する。分布を調べる。往時の生活手段を推定復元する。その他多くの個別的な分野が開かれて居る。三、更に組織的研究に進んで、一国の先史時代の各時期を区分し、その詳細を究める。文化の発達を論ずる。一応この辺で先史考古学の作業の大半は過ぎたと云えるかも知れない。四、しかしその先には最後の眼目とも云うべき部分――実年代の決定が残っている。時期を並列しても、唯それだけでは積木細工に過ぎない、実年代が与えられて始めて各時期は正当な処を得る。そして世界史の一員に加えられて広汎な文化史のうちに編入されるのである。一~三の労作の末、四に至って個別が体系となり、「生命」が与えられるのである。
画竜点睛である。

整理すると、
1.考古学資料の集積
2.集積した資料の分析
3.資料による時代の大別
4.実年代の付与
とでもすればよいのだろうか。
個人的には、自然科学畑には進まないつもりなので3までとなろう。

山内の代表的な論考の一つに
「縄紋土器型式の細別と大別」(1937)
が挙げられるように、
彼が縄紋土器研究において時代の最先端に居たことは明白な事実であり、
また彼の主要な研究対象が縄紋土器であることは誰もが頷くことであろう。
その縄紋土器の起源を探る中で戦後早期から草創期を分離し、
縄紋土器それ自身と大陸の文物の関わりはつかむことができなくとも
代わりにどうやらこれこそが大陸との関連を示しそうだ、
というものを発見し、以下のように発言している。

近年縄紋式の最も古い時期、草創期の研究が進んで来て、正にそれ(管理人注/大陸との関連を示す遺物)と考えられる遺物が出現するに至った。その考案によって草創期の年代を漸く推定し得る様になったのである。

こうして山内は
・植刃(バイカル地方のBC.4000~3000のイサコヴォ期)
・擦り切り技法(シベリアのBC2500のキトイ期)※早期
・玦状耳飾(中国でBC2000頃の彩陶に伴出)※前期
・矢柄研磨器(欧亜各地でBC2500~2000)
といった大陸の文物と縄紋期出土遺物との比較をもって縄紋時代に実年代を与え、

縄文式文化の長い系列も終に「点睛」された。先史考古学待望の実年代は縄紋式草創B.C.3000年と見当が付いた。我々は世界史の一環をなす縄紋式をここに見、我々も亦縄紋式文化と共に天にも登る気魄に充ちている。

と高らかに謳いあげている。
これは山内にとっては炭素年代を用いる人々に対する勝利宣言であり、
己の方法論に対する絶対の自信に裏付けられたものであろう。

考古資料は時間軸・地域軸によって分類され、
その流れで系統的に分類することによって我々はモノ、
そしてそこから考えられる社会の変遷を捉えている。
編年における組織は縦方向に形成され、横方向に結び付けられる。
この際には遺物はもちろんその文化的様相(ex.組成)も参考に結び付けられる。
クロスデーティング(交差年代)とも呼ばれる方法は
従来からヨーロッパで行われていた非常に伝統的な考古学の方法論で、
C14の年代が同じなら結びつけるといった安易な理化学年代の使用に対して
山内が怒りの念を禁じえなかったが故に激した文章になっているとも考えられる。

では、山内の短期編年説は間違っていたのだろうか。
結果的に言えば現在の縄紋研究者、乃至考古学者は殆ど長期編年説者である。
つまりは山内の唱えた短期編年は間違っていたということになる。
しかし、縄紋期の文物と対比させた大陸の文物は現在、
尚古いものが見つかっていたり年代が改定されていたりする。
方法論的には間違っていたとは言い切れないだろう。

鈴木公雄が「山内清男と縄文土器編年」(考古学者 その人間と学問:1995)において山内の気持ちを推し量ってこんな事を言っている。

「伝統的な方法ということをおまえたちは何と思っているんだ。そんなC14がいいんなら、おまえたち考古学をやめて測定屋になれ」

伝統的方法と新技術の調和というのはいつの時代でも難しい。
AMSの測定結果を嬉々として考古学論文に使用する人を見ていると、そんな危惧を感じる。
そして、新技術にすんなりとはのめりこめない自分と
伝統的手法に磨きをかけることを考える自分がいる。


2/20 12:57補記
誤字の指摘があったので訂正しました。
Kanon君、ありがとう。
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 COMMENT

  Title...  b y BlogPetのとびまる
きょうとびまるは、ここに山内みたいな象徴した。
2006.02.17 (12:50) * URL [EDIT]
  Title...  b y すぎわら
できたら嬉しいね。
何をすればいいのかはよくわからんけど(笑
2006.02.17 (20:50) * URL [EDIT]
  Title...管理人のみ閲覧できます  b y
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2006.02.18 (01:50) * [EDIT]

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